クワガタムシ短篇小説(戯文)
二つの光景
デューク東郷

「雨のしとしと降る少し肌寒い夜の出来事。その日僕は窓を少し開けていました。
その時気付いてやっていればいま頃も彼は元気でオウゴンオニクワガタのおもちゃ
と楽しく遊んでいたか、朽木の剥がれた皮のなかですやすや眠っていたに違いあり
ません。きっと…」

 昨日の晩から、いきなり涼しくなった。ここ三ヵ月間、冷蔵庫の横の柱にぶら下
げてある温度計が摂氏二十五度以下を示す事は一度もなかった。それが今日は摂氏
二十三度を示している。道理で涼しい訳だ。
 ふと、今使用しているディスプレイの画面右上部にある時計を見ると、青い文字
で、
「11:12」
 と表示している。もうすぐ昼である。昨日の晩から今まで殆ど休む事なく、この
目の前にあるマックのワープロソフトで、「昆虫採集購入記録」という文書を打ち
続けていたのでそろそろ目が痛くなった。しかし、あと三行ほど打てば全て終わる。
もう少しの辛抱だ。
「これが終わったらしばらく寝よう」
 そう心の中でつぶやきながら、どうにかその三行の文章を打ち終えた。ようやく
十時間以上に渡る目の酷使から解放されるのである。
 
 キーボードから手を離すと、僕はマウスを使って文書をセーブし、ワープロソフ
トを終了させた。そして、コンピュータの電源を落すためにマックのコマンドから
「終了」を選び、しばらく待った。通常だと五秒くらいすると画面が黒くなり、中
央に、
「この状態で電源が落せます」
 と表示されるのだが、今回それがなかなか出て来ない。ハードディスクがアクセ
スし続けているので誤動作ではないようだ。二十秒くらい待ってもまだ出て来ない
ので、しびれを切らしてスイッチを落そうとすると、ようやくその画面が現れた。
多分、長時間電気を入れっぱなしだったので普段と違った動作をしたのだろう(い
つもは数時間しか使用しない)。
「電気代、かかっただろうな」
 そんな事を考えながら、マックLC475とディスプレイの電源スイッチを落し
た。 

 ところで、何故あの黒い表示が出るまで待っていたかというと、コマンドの「終
了」を選んでからその表示が出るまでの間、マックはコンピュータシステムが無事
終了出来るよういろいろと環境を整えているので、それをいきなり外部から中断
(スイッチを切る)させてしまうと、次回電源を入れて立ち上げた際、コンピュー
タが混乱してしまい故障する恐れがあるからだ。とにかく、このマックというコン
ピュータは非常にデリケートなマシーンなのである。


「あーあー」
 椅子に座ったまま両手を上に挙げ、大きく伸びをした。
「ところで、今日は何曜日なんだ」
 ふとそんな事が知りたくなり、左上の天井にかけたカレンダーを見たが、七月・
八月のままになっている。しかし、今は九月である。
「よっこらしょっと」
 重い腰を持ち上げて椅子から離れ、石丸電気で貰ったその細長いカレンダー(ジ
ャズ盤のジャケットが上半分に印刷されている)の次の頁をめくると、
「九月十五日木曜日」
 となっている。そして、日にちのところが赤になっていた。
「そうかぁ、今日は祝日なんだ。でも一体何の日だったけ。」
 現在、失業中の身なのでここ半月ばかり曜日感覚を失っている。
「どれどれ」
 何の日なのか調べるため、カレンダーのさっきの日にちのところをもう一度見て
みると小さい英語で何かが書いてある。しかし、僕は英語が全く駄目なので、すぐ
に諦めてカレンダーから目を離し、椅子に戻った。
「何の日だっていいや」
 あまりに眠いのでもうこれ以上調べる気は起きなくなってしまった。

「さて寝るか」
 布団を敷くスペースがあるかどうか、座りながら後ろを振り返って確認した。
その瞬間、
「タララ〜」トッカータとフーガの冒頭部分が頭の中を閃光の如く駆け抜けた。
 障害物を一つ発見したからである。僕は癖で、何か不幸(例えば枕が裂けて、中
の蕎麦殻が部屋一面に散らばった時とか)が起こると、ついその旋律を心の中で一
瞬口ずさんでしまうのだ(「天才バカボン」というテレビアニメの影響)。ただし、
今回の不幸はたいしたものではなかった。布団を敷く場所に、ミヤマクワガタのオ
スが一匹入った幅三十センチ、奥行き二十センチ、深さ二十センチほどのプラスチ
ックケースがたまたま置いてあったというだけの事だ。
「ミヤマちゃ〜ん、元気ぃ?」
 まるで、ロリコンおじさんのような甘い口調でミヤマちゃんに語りかけながら
(もうこれは、おたくを超えた、ただの変態である)、座ったままの姿勢でかがみ
込んで、ケースの中を覗いてみた。すると、ミヤマは全ての脚を宙に向けて、敷い
てある川砂の上にひっくり返っていた。
「あらあら、またか」
 そういう事はしょっちゅう起こる。多分、今回もいつものようにケースのフタの
裏に張り付いて遊んでいたのが、何かの拍子で落ちてしまったのだろう。
「可哀想に、どれどれ助けてやるか。…ん?」
 …良く見ると何か変だ。宙に向けた脚をぴくりとも動かさないのである。今まで
こんな事は一度もなかった。ひっくり返った場合はいつも必ず全ての脚をばたつか
せてどうにか起き上がれるようもがいているのだが、今回は全ての脚が硬直してい
る。
「!」
 僕は息を止め、自分の出し得る最高の速さでケースに飛びつき、フタを開け、無
惨に転がっているミヤマを右手で取り上げると、指で腹をつついてみた。が、何も
反応しない。ミヤマは死んだようだ。しかし、まだあきらめるのは早い。食べ物を
ミヤマの口に持っていけば蘇生させる事が出来るかも知れない。そう考えた僕は、
「死んじゃ駄目だ!」
 と心の中でミヤマに言葉を強く浴びせながら、ケース内に寂しく残された赤色の
昆虫ゼリー(ミヤマのめし)を指先でえぐり取り、ミヤマの口に押し付けてみた。
しかし、うんともすんとも言わない。もし、まだ完全には死んではおらず、息が少
しでもある状態であれば何らかの反応を示すはずだ。それがないという事は…ミヤ
マの完全な死を意味している。十時間前まで元気良く動かしていた彼の触角は、も
う二度と彼によって動かされる事がないと、これで分かったのである。その途端、
どうしようもない悲しみが僕を襲い、徹夜明けで目がからからの筈なのに、それで
も涙がどっと溢れて来た。と同時に、
「彼が元気に動き回る姿はもう二度と見れないんだ」
 という、絶対不変の事実に対して抱く凄まじい程の恐怖で戦慄し、ノドはからか
らになった。かって、これ程までに因果律を憎み、恐怖した事はなかった(恋人と
別れた時も、父親が死んだ時も、母親がクモ膜下出血で倒れた時も、妹が自殺未遂
をした時も、そのいずれの時も僕はここまで恐怖した事はなかった。これが現実な
んだ、と悲しみながらも素直に事実を受け入れ、心の奥はあくまで冷静であった)。
僕は咽び泣きながら、生き返る筈もない彼のあわれな骸を手にして、
「どうにか蘇ってくれえ、蘇ってくれえ、たのむ!」
 と声にならない声で大いに叫んだ。しかし、何度呼びかけても、それは薄暗くて
肌寒いこの四畳半の部屋の壁に虚しくこだまするだけで、僕の声が彼の触角(みみ)
に届く事は決してなかった。でも、無駄だと分かりつつも、その愚かな行為がどう
してもやめられなかった。やめる事が出来なかった。これが人間の持つ弱さという
ものなのだろう。

 泣き止んで、一つの事に気が付いた。彼が驚くほど冷たくなっていたと…。

 昆虫にどれだけ体温があるのか知らないけれども、僕の手のひらに乗っかている
彼の小さな骸は、あまりにもあまりにも冷たかった。

 雨のしとしと降る肌寒い夜のように。  

 寿命だったのか、それとも僕が殺したのか…それは彼に聞いてみない限り分から
ない。



ソレハ、
雨のしとしと降る肌寒い夜ノ出来事。
その日、ミヤマクワガタは死ニマシタ。

何も言えナイまま、何も言わナイまま
冷たくカタクなって
ウラガエシになって
ダマッテ死んでいました。
ナゼ死んだのでしょう。
ソノ日僕は窓を少し開けていました。
サムかったのでしょうか。
分かりマセン。
その時気付イテやっていれば
いま頃も元気デ
キっと…。

どうシタッテ彼の良く動いた触覚は
もう自分カラ動かす事がないのです。

彼は良くアソンデいました、
おうごんオニクワガタ
のオモチャで。

彼は良くネムッテいました、
朽木のハガレタ皮のあいだ
にハサマッテ。

いまもありますヨ。

おうごんオニクワガタと
皮のハガレタ朽木。

生涯忘レラレないでしょう。
あの二つの光景ヲ。

ソノ時気付いてやっていれば
いま頃モ元気で・・・きっと。                     〔了〕

1994年9月執筆

虫飼いのつぶやき