…これは、浅間山にて実際に元・上司が遭遇した恐怖体験です。
【恐怖の昆虫実体験レポート(最終話)】
あの…タカサゴキララマダニが元・上司の胸の中へ!?
『笹の生い茂った山道を歩いている最中、ふと下を見ると私のはいていたズボンに
カメムシみたいな虫がいっぱい張り付いていたので、両手でズボンを軽くはたきま
した。すると、その虫達は何の抵抗もする事なく、雪のようにパラパラと落ちてい
きました。何の虫だろう? と思って地面に落ちた虫を一匹拾い、良く観察してみ
ると、それはどうやらカメムシではなさそうです。体長は5ミリくらいで、厚みの
ない、まるで紙のようにペラペラした正体不明の虫でした…………………………。
 登山を終え、昨晩から泊まっている知り合いのペンションに戻ると、着ていた長
袖シャツを脱ぎ、タンクトップに着替えました。夕食の時間になったので、同行し
ている彼女と食堂に行き、椅子に座ると、私の横に座ろうとした彼女が急に大声で
叫びました、「あなたの胸に変なものがくっついている!」と…。「変なもの?」
彼女の声を聞いてあわてて自分の胸を見ると、なんと! 左胸下部に昼間ズボンに
張り付いていた正体不明の虫が体半分、頭の方から入り込んでいるではありません
か! 私はびっくりして、まだ入り込んでいないそいつの腹部を指でつまんで思い
きりひっぱりました。駄目です、皮膚が異常な程伸びるだけでそいつは食い付いて
離れません。そばで見ている彼女はあまりの恐怖で石と化しています。料理を作っ
ていたペンションのオーナー夫婦にこういう虫は御存知ありませんか? と胸に食
い付いている虫を見せたところ、2人とも恐怖の悲鳴をあげ、しばし興奮状態に陥っ
ていましたが、夫の方はすぐに冷静さを取り戻し、「こんな虫見た事がない」とす
まなさそうに答えました。すると、後ろから「私、それ知ってる!」と、今まで石
になっていた北海道出身の彼女が泣きそうな声で言い、さらに話を続けました。
「田舎のおばあちゃんが畑仕事から帰ってきた時、たまにそれに食い付かれてきた
のを覚えてる。そういう時はその虫にタバコの煙を吹きかけると苦しくなって外に
出て来るんだよ、と言いながら実際そういう風に取っていたと思うわ、確か…」
 それを聞いた嫌煙家の私は早速、愛煙家のオーナー主人からタバコを一本貰って、
ゴホゴホとむせ返りながらそれを吹かし、憎き虫めがけて煙を吹きかけました。す
ると、虫はしばらく体をグネグネさせ、その後、うんともすんとも言わなくなりま
した。どうやら、私の胸に体を半分突っ込んだまま死んでしまったようです。気味
が悪いので私はさっきと同様にそいつの腹部を指でつまんで思いきりひっぱりまし
たが、やはり駄目です。取れません。こんなおぞましいものと一夜を共にするのは
ゴメンなので、何か使う事もあるだろうと思って持ってきたカッターをバックから
取り出し、刃先をライターの火であぶって、胸に突き付けました…と同時に!
それを見ていた彼女は私のカッターも持っている方の手を押えて「それだけはやめ
て〜」と泣き叫びました。仕方ないのでその方法は諦め、再々度ひっぱって取る事
にしました。「………よし!」もうどうなってもいいやと覚悟を決め、力まかせに
ひっぱると、私の胸の皮膚は信じられない程伸びるではありませんか! でも、敵
はしぶとく依然として食い付いたままです。「ふん!」最後の力を振り絞り、最後
のチャンスとばかり本気でひっぱると、
「ブッチィッ!」…肉がブチ切れたとでもいうような大きな音が部屋中に響きわた
りました。恐る恐る胸を見てみると、虫が入り込んでいた部分にポッカリ穴が開い
ていました。どうやら虫は無事取れたようです。しかし、不思議な事にその穴から
は一滴たりとも血が出ず、又、そいつが入り込んでから今まで全く痛みがありませ
んでした。もし、未だ気付かずにいたら…そう考えると、心底ぞおっとしました。
 虫の恐怖から解放された私は、ばい菌が入らないよう開いた穴にオロナイン軟膏
を埋め込み、その上にバンドエイドを貼って、ようやく落ち着く事が出来ました。
 家に帰って、思索社から出版されている(現在は平凡社扱い)「野外における危
険な生物」を読むと、私に食い付いていた虫の事が紹介されていました。タカサゴ
キララマダニという名前で…』

 ある夏の晩、元・上司はそういった内容の話を僕に淡々と語ってくれました。そし
て全てを語り終えると左手で左胸下部を軽く撫でながら、
「とにかく、浅間山に行った時は気を付けた方がいいよ」
 と言って、右手に持っていた(今は全く見かけなくなった)瓶タイプの『PF-21』
を最後まで一気に飲み干しました。                   〔了〕

恐怖生物実体験